オゾンアベニューとは
大曽根駅から徒歩2分のところにある商店街です。
飲食店をはじめ、雑貨店や服屋など、多くの店舗が並ぶびます。
毎月第二土曜日は大曽根朝市を開催し、 新鮮で安全な野菜などを販売します。
是非お立ち寄りください!
大曽根駅から徒歩2分のところにある商店街です。
飲食店をはじめ、雑貨店や服屋など、多くの店舗が並ぶびます。
毎月第二土曜日は大曽根朝市を開催し、 新鮮で安全な野菜などを販売します。
是非お立ち寄りください!
大曽根は、江戸時代より街道の終結点として、また名古屋城下の北部の入り口として重要な位置をしめていました。
その後も街道終結点としての機能を持ち続け、明治以後、名古屋の急速な発展、国鉄中央線、名鉄瀬戸線の各大曽根駅の設置とともに、商業地としての格付けがなされ、地域のターミナル的性格が一層強く形成されました。
1962(昭37)年5月4日撮影
東から西を見た大曽根の六差路(通称)一帯
手前が国鉄(当時)中央線の高架橋
その上が名鉄瀬戸線踏切
戦後も小規模店の集結地として発展をつづけ、発展会として地元自治会と一体で薬師殿の輪くぐり祭などを開催し商店街としての下地をつくり上げていきました。
昭和38年に大曽根本通商店街振興組合として正式に発足しました。
イベントとして大曽根七夕祭りを行ったり、また昭和40年には本通の商店街区域にアーケードが完成し大須商店街・円頓寺商店街と共に3大アーケードの商業地点として発展しました。
しかしながら、昭和54年の名鉄瀬戸線の栄乗入れや他地域の商業施設の整備などによりターミナル的性格が次第に弱くなって来ました。
そして昭和38年の土地区画整理事業都市計画決定に基づき昭和58年に大曽根近代化推進協議会が発足し街づくりの基本構想が発表されました。
その構想に対して賛成派と反対派に分かれ商店街活動も全組合一体になって出来なくなりました。
その後、名古屋市計画局の主導により商店街分断・また各店舗の移転交渉などが行われ組合員の件数が激減しました。
平成13年には大曽根土地区画整理事業をすべて完了するという名古屋市との約束により、平成9年にアーケードをすべて撤去しました。
残っていた店舗は仮店舗に入ったり他地区への移転を余儀なくされました。
名古屋市と共に街造りを計画していた大曽根近代化推進協議会は途中解散してしまい、大曽根区画整理事業が完成したのは平成18年12月でした。
他地区で仮に営業していた店舗の中で、何とか戻って来た店もありますが、閉店したり他地区へ移ったままの店もあります。
また、空地にしたままの土地所有者も多く今現在にいたっています。
「下街道」は名古屋と中山道を結び、城下東北の玄関として大曽根に繁栄をもたらし、今の国道19号前身であった道である。清水口から北へ伸びる「稲置街道」(木曽街道)が尾張藩の公式街道で別名「上街道」と呼ばれたのに対し、庶民が使う非公式の街道でだったことから「下街道」と呼ばれた。また、長野の善光寺へ参拝する人の通行も多かったことから「善光寺街道」とも呼ばれた。名古屋の伝馬町(中区2丁目)から始まり恵那市で中山道に合流していた。延長十四里半(58キロメートル)の道である。
延享元甲子年(1744年)江戸時代中期(八代将軍徳川吉宗) 現在、道標自体が少なくなり、この道標は歴史的にも大変貴重なものである。